ポーランド 1 | ワルシャワ/クラクフ |
日程 | 成田からクラクフへ 成田10:15発---(LO080便・ポーランド航空)---(ワルシャワ着14:30)---(乗り継ぎ便でクラクフへ)---クラクフ ホテル18:30着 |
宿泊 | クラクフ(ホリデイインクラクフシティーセンター) |
今回はポーランドへいきます。昨年のベネルクス三国に続いてヨーロッパの旅行となりました。日本との時差はベネルクスと同じ7時間。ポーランドは、人は親切そして安全な国で物価が安いと聞いています。
搭乗手続きに1時間近く並び、ずいぶん時間がかかりました。出発時刻も予定より30分ほど遅れての出発で、なかなかスムーズには進みません。
機内食はポークとチキンからの選択で写真はチキンです。甘酢がかかっていておいしい食事でした。見た映画は、「恋のしずく」。ワインづくりを勉強したい女子大生の実習先が希望とは違う田舎の酒蔵になり、そこでのやりとりがこの映画の内容になっています。おもしろかったのですが、117分間だけです。いつものように残りの時間を過ごすのが大変でした。
ワルシャワ経由でクラクフに入り、ホテルには夕方6時30分頃到着しました。リニューアルしたばかりで、部屋は新しく広くて快適でした。
日程 | 午前:クラクフ歴史地区観光 午後:アウシュヴィッツ博物館・ビルケナウ強制収容所見学 ホテル8:30---(バス)------織物会館------聖マリア教会------ヴァヴェル城(旧王宮・大聖堂)------レストラン(昼食)------(バス1時間30分/65q)------オシフィエンチム(アウシュヴィッツ博物館・ビルケナウ強制収容所見学)------(バス1時間30分/65q)------ホテル19:00 |
宿泊 | クラクフ(ホリデイインクラクフシティーセンター) |
クラクフは、かつてポーランドの首都であった都市です。他の都市のように、戦争で壊滅的な打撃を受けることなく、ヴァヴェル城や旧市街をはじめ、街全体が中世のたたずまいを残しているといわれています。
●街の中
写真のようにオブヴァジャネク(obwarzanek)というパンを売るワゴンがあちらこちらにみられました。クラクフとその周辺だけで売られているとのことです。1つ2zl(60円)です。
オープンカフェは街のいたるところにあって、ヨーロッパの人たちはこういうところで時間を過ごすのが大好きなようです。
【トラムやオブヴァジャネク(obwarzanek)というパンを売るワゴン】
●バルバカン
旧市街はホテルから近いところにあったので、歩いてもわずかの距離です。円形の建物が見えてきましたが、旧市街への入り口のフロリアンスカ門を守る円形の砦です。当時の姿をとどめているとのことです。裏側は円形ではありません。フロリアンスカ門は旧市街の北に位置します。ここを通って中央広場に向かいます。門を振り返ると、街を火災から守る聖フロリアヌス守護聖人の絵がありました。
【バルバカンとフロリアンスカ門】
●中央広場
中央広場は、旧市街の中心にある200m四方の広場です。カフェやレストランが軒を連ねていますが、旧市庁舎の塔、聖マリア教会など歴史的な建物も立っています。中央には織物会館があって、1階は土産物店が集まっていました。
【中央広場・織物会館】
●聖マリア教会
この教会の塔では1時間ごとにラッパの吹奏があります。昔、モンゴル軍の襲来を告げたラッパだったとのことです。機嫌がよかったのか、ラッパを吹いている人が手を振ってくれました。
【旧市庁舎の塔・聖マリア教会】
●ヤギェウォ大学
ポーランド最古の大学で、コペルニクスやヨハ・ネパウロ2世も学んだところです。大学の建物の1つコレグウム・マイウスは、ゴシック様式を今に伝える貴重な校舎だということです。
【大学の建物の1つコレグウム・マイウス】
●ヴァヴェル城・ヴァヴェル大聖堂
ヴァヴェル城は16世紀まで国王の居城だったところです。ヴァヴェル大聖堂は、多くのポーランド国王の戴冠式を執り行った大聖堂で、国王の墓所でもあるところです。
【ヴァヴェル城・ヴァヴェル大聖堂】
クラクフから西へ約70kmのオシフィエンチムにある、第二次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人やポーランド人などを捕虜として強制収容した施設です。
強制労働やガス室での処刑など、ここで虐殺されたユダヤ人は400万人以上といわれています。
アウシュビッツ第一強制収容所の門には、写真にあるように「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」との言葉が掲げられています。博物館の中には、収容者から没収した靴や衣服などの生活用品、殺人に使われた劇薬(チクロンB)の空き缶などが展示され、ガス室などの建物が保存されていました。1979年に「負の世界遺産」として登録されています。アウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ収容所)はそこから約2kmほど離れた場所にあります。
どちらの場所でもヨーロッパ各地からと思われる見学者が非常に多く見られました。
●日本人ガイド中谷さんの話
当時のドイツは、戦後どのようにしてホロコーストの責任をとったのか。アウシュビッツに見学に来る人は、EU圏内からの若者が多く、ヨーロッパで生まれ生きていく上で、知るべきこととして位置づけられている。などの話をされていました。
【アウシュヴィッツ博物館・ビルケナウ強制収容所】
●昼食は鱈の料理・夕食に餃子
鱈の料理はおいしくいただきましたが、驚いたのはデザートのレモンクリームパイです。とても大きくて、大好きなクリーム一杯でした。
ピエロギは皮の厚い水餃子という印象です。
【鱈の料理・ピエロギ】