クロアチア 3 | クロアチア・スロベニア |
日程 | ホテル 8:30---トロギール市内観光(聖ロブロ教会 旧市街散策)---(バス1時間30q)---スプリット市内観光(ディオクレティアヌス宮殿 旧市街散策)---(バス4時間200q)---ドブロブニク着18:30 |
宿泊 | アーゴーシー |
昨日、ホテルの部屋の電気が突然切れた。携帯の明かりを頼りに電話を探して通じることはわかったが、言葉が通じないことに気がつく。次に添乗員に連絡をとってみた。聞いていた番号が違っていたので、連絡が取れない。どうしよう。廊下へ出てみると、ツアーで一緒の方も廊下にいて状況は同じようだ。・・・やっと添乗員を捜しあてホテルに連絡を取ってもらって復旧した。ホテルでのトラブルは初めての経験だったこともあり、慌ててしまった。
朝は6時過ぎから1時間弱散歩した。ホテルの目の前の道路を渡ると、港があってボートが何艘もつないである。その港に沿って歩いた。旧市街に建つ教会の鐘楼が美しい姿を見せている。
◆トロギール旧市街
この日の観光は、8時から2時間ほどトロギール旧市街を歩いたが、旧市街は観光客であふれていた。聖ロブロ教会は、説明によると13Cから300年をかけて完成し、いろいろな建築様式が混在する教会とのことである。118段の階段を征服して鐘楼にも上ってみた。なかなかの眺望だった。
◆スプリットでディオクレティアヌス宮殿
トロギールから1時間弱でスプリットに到着。ここではディオクレティアヌス宮殿を見学した。理解しにくい宮殿だが、4世紀頃にローマ皇帝ディオクレティアヌスによって建設された宮殿だ。一度廃墟になり、その宮殿跡に人が住み着き、宮殿の廃材を使って大聖堂や建物や道を作り、町ができあがったとのこと。だから、古代遺跡があり、人が住んでいるという光景ができあがっているという訳だ。前庭といわれるところで、クラパ(アカペラ合唱)をやって、CDも販売していた。
宮殿城壁南側の通り スプリット |
ディオクレティアヌス宮殿の図 スプリット |
宮殿の地下 スプリット |
ディオクレティアヌス帝のレリーフ スプリット |
宮殿の中庭列柱 スプリット |
宮殿の前庭 スプリット |
鐘楼 スプリット |
宮殿の鉄の門 スプリット |
街 スプリット |
クラパを歌う人 スプリット |
クラパを歌う人の音声 スプリット |
◆ブロブニクで夕食
午後1時少し前にスプリットを発ち、ドブロブニクへ向かう。バスに設置してある外気温の温度計は34℃そして2回目の休憩地が近づく頃には36℃になっている。日本の暑さと変わらない。午後7時頃ドブロブニクに到着し、旧市街の中にあるレストランで夕食をとった。
ドブロブニク城壁内 ドブロブニク |
城壁 ドブロブニク |
日程 | ホテル 8:00---徒歩でドブロブニク旧市街観光(フランシスコ修道院 大聖堂 宝物館 ドミニカ修道院 旧監督府 プラッツ通り 展望ポイント)---(バス2時間90q)---15:15 コトル観光 17:00---バス2時間90q---ドブロブニク着20:20 |
宿泊 | アーゴーシー |
◆ブロブニク
午前中はドブロブニクの見学。ドブロブニクは周囲2qの堅牢な城壁で囲まれた都市国家だったところ。ガイドの説明によれば、造船や海運、商業などによって財力を蓄えて、あちらこちらに税金を納めて都市国家として自治を守ってきた歴史がある。長く続いたが、ナポレオンによって1806年に共和制が廃止されて以後衰退していった。ドブロブニクは、ハードも見事だがソフト面でも福祉などの行政サービスなど、学ぶ点は多いという。
ピレ門から入った。プラツァ通りは広いが、そこから別の通りへ入ると狭い。人がやっとすれ違うような隙間だ。日陰を作って暑さをしのぐ目的があるという。フランシスコ会修道院には世界で3番目に古いという薬局があった。さらに大聖堂などをみて、城壁にあがった。スペインからの大型客船が到着していることもあって、城壁に上る観光客は多く、のろのろと車の渋滞のような感じで歩いた。上からは城壁の内側や外側がよく見えた。城壁の上は陰になるところがなく、暑さと必死で戦いながらほぼ一周歩いた。城壁にくっつくような岩場で海水浴を楽しんでいる人たちも見かけた。この暑さだから、城壁を歩くよりは海水浴のほうが健康にいいだろうな。
◆モンテネグロのコトル
ドブロブニク見学の後は、モンテネグロにあるコトルに向った。国境を越えるとき、反対車線のクロアチアに入国する車が長い列を作っていた。パスポートをすべて調べているためらしい。添乗員は、何かあったのではないかと推測していた。国境を越え、モンテネグロに入り、海水浴を楽しむ人たちやムール貝の養殖風景などを見ながら湾をぐるりとまわって、午後3時過ぎにコトルに着いた。
コトルも、ドブロブニクと同じ都市国家である。こちらの方は、深い入り江の奥に位置していて、山の上の方まで利用して城壁が作られている。敵は容易に入ってこられないという地の利を利用して作られた都市で、強い国に支配されながらも一定の自治を保って繁栄したとのこと。晴れていて、絶好の展望の機会だったが、山の上の方の城壁に上る気力体力は残っていなかった。一緒の若い男性によれば、期待通りだったらしい。いけばよかったか。
ドブロブニクへの帰り道は、フェリーに5分間乗って、湾をショートカットして30〜40分の時間短縮を図り、覚悟して国境へ向かった。渋滞区間を1時間30分ほどで通過、午後8時20分頃到着することができた。
旧市街 コトル |
セルビア教会 コトル |
旧市街 コトル |
旧市街 コトル |
旧市街 コトル |
旧市街 コトル |
モンテネグロ フェリーから |
モンテネグロ フェリーから |
国境の渋滞 モンテネグロ |
夕食は「ミモザ」というレストランでとった。そこで、ドブロブニクの地名の由来を尋ねたところ、マスターがやってきて説明してくれた。記憶の糸をたぐり寄せるようにゆっくりと考えながらしゃべり始めた。何とかという木に由来するらしいということまでは通訳してもらえた。木の葉っぱの絵まで描いて詳しく説明していたので、葉っぱの形から桐の木と推測していたが、日本に帰って調べてみると「樫の木」だった。この地の周辺にクロアチア語のDubrava、つまり「樫の木」が多かったことに由来するらしい。ドブロブニク以前の名称はラグーサで、これは「岩」を意味する。ちょうど昼食のレストランの名前がラグーサ2で、日本の雑誌にも紹介されているようだった。壁にコピーがあり、働いている若い男性が、写っているのは僕だよとアピールしていた。夕食に出た手長エビがおいしかった。
夕食の手長エビ ドブロブニク |