バルト三国 2 | エストニア・ラトビア・リトアニア |
日程 | ホテル発8:00 カウナスで旧日本領事館見学 十字架の丘見学 リガ着18:30 |
宿泊 | リガ |
◆朝、弱い雨が降っている
朝は、昨日と同じようにお茶を沸かし、前日のことを思い出して少しだけメモをとりました。6時頃には外はだいぶ明るくなってきました。天気はよくありません。外を歩く人は傘をさしている人とさしていない人の両方います。この時間帯は、ホテル前を通過するバスやトローリーバスはとても多くて、思わず数えると、1分間に10台前後通過することがありました。どの車両にも人は乗っています。仕事に向かうのでしょう。車はすべてライトをつけています。こちらでは昼間でもライトをつけることになっています。
ホテル前を通過するバス ビリニュス |
トローリーバス ビリニュス |
◆カウナスの旧日本領事館
ホテルを8時に出発して、100q先のカウナスへ向かいます。カウナスの天気予報は晴れです。途中、車窓から畑にいるシュバシコウ(コウノトリ)を見ることができました。20〜30羽の群れもいました。
カウナスでは初めに旧日本領事館を見学予定です。近くまできて、道路工事のために来た道を引き返したりして手間取っていましたが、やっと着いたようです。建物は静かな住宅街にあり、想像していた大きなものではなく、ごく普通の民家でした。まず、旧領事館内でビデオによる杉原千畝の紹介をみました。杉原千畝は、父の進めた医者にはならず、ロシア語を勉強して外務省に勤務しました。彼は、ロシア語に精通していて、交渉力もあって有能な人だったそうです。一番の功績は、1940年リトアニア日本領事館領事代理として「命のビザ」の発給をし、6000人ものユダヤ人を救ったとされることです。ビデオの後、執務室や外観の見学をしました。あの窓から、領事館に押し寄せた人たちを見て、大変な決断をし歴史に残る仕事をしたのだなどと想像し、日本人として誇りに思いました。
ビザ 旧日本領事館 |
執務室 旧日本領事館 |
旧日本領事館の窓 |
プレート 旧日本領事館 |
旧日本領事館 カウナス |
◆カウナス旧市街
カウナスの旧市街では、カウナス城、旧市庁舎、聖ペテロ&パウロ大聖堂などを外から見学しました。見学しているときに、ロンドンオリンピックで活躍した選手の凱旋パレードに出会い、通りがかり上われわれも盛大な拍手で迎える市民になりました。
カウナス城 カウナス |
旧市庁舎 カウナス |
聖ペテロ&パウロ教会 カウナス |
凱旋パレード カウナス |
◆昼食はコルドゥナイ
昼食は、コルドゥナイというリトアニア風水餃子を食べました。日本で食べる餃子と同じような食感と味で、おいしく感じました。
コルドゥナイ 昼食 |
◆十字架の丘
午後は十字架の丘に向かいました。カウナスから約153qのところにあります。車窓を見たり、うとうとしている間に、バスは建物などない草原の中の駐車場に止まりました。灰色の小山のようなところに向かって歩いて行くと、ガイドブックの写真でみた光景が目に入ってきました。大小さまざま、無数の十字架が丘の上に建てられています。多くのリトアニア人が、この場所をカトリックの聖地としてして訪れ、十字架を捧げています。18世紀に、リトアニアはポーランド分割によりロシアの支配下に置かれました。これに対抗して1831年と1863年に2回蜂起しましたが、いずれも失敗しています。一説には、この丘に初めて十字架が建てられたのはこのときとされています。このとき犠牲となった反乱兵の家族が、遺体のかわりに十字架を建てたのです。その後、1944年から1990年にソ連の統治下に置かれたときには、この丘は非暴力による抵抗を表していました。ソ連によってブルドーザーでなぎ倒されては、再び十字架が立てられるということが3〜4回くらい繰り返されましたが、十字架の勢いはとまらかったということです。1993年にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世もここを訪れて、祈りを捧げました。
十字架の丘 |
十字架の丘 彫刻や像もある |
十字架の丘 |
十字架の丘 たくさんの十字架 |
◆バスはリガへ
丘を後にして、バスはリガに向かいました。リガ市内に入ると、人が忙しそうで車が多く、高い建物もあり、ビリニュスと違って活気があるという印象です。
ホテルには午後6時半頃着きましたが、部屋のドアが、受け取ったカードキーで開きません。フロントに戻ってドアが開かないことを伝えましたが、係の人が来るまでずいぶん待たされました。残念な気持ちを伝える語彙力がないのがちょっと悔しい。夕食は魚料理でおいしくいただきました。
ホテルの部屋 ラディソン BLU ラトビア |
日程 | リガ ホテル8:45発 ルンダーレ宮殿観光 リガ市内観光 ホテル着17:00 |
宿泊 | リガ |
◆ホテル近くの公園を散歩
朝食後、出発までの時間にホテル前の公園を散歩しました。
公園 朝の散歩 |
◆ルンダーレ宮殿へ
バスで約79q離れたルンダーレ宮殿に向かいました。添乗員からルンダーレ宮殿の歴史的な説明を聞いたり、車窓からコウノトリをさがして何羽かを見ました。到着して、ルンダーレ宮殿の屋根をみてびっくりしました。シュバシコウです。煙突に巣があって、巣に2羽がいます。近くで見るのはこれが初めてです。
ルンダーレ宮殿 ラトビア |
シュバシコウ ルンダーレ宮殿 |
宮殿は、ロシア女帝アンナの庇護を受けたクールランド公国のビロン大公がその力を使って建てました。宮殿を設計した人はイタリア人建築家ラストゥレリで、ヴェルサイユ宮殿を参考に設計しました。着手してから、ビロン大公の身に変化があり、完成まで30年以上を要しています。
靴をビニール袋で覆い、カメラ券を買って、階段を上って行きました。黄金の間(レセプションに使われた部屋)、グランドギャラリー、白の間(舞踏会用の広間)、肖像画の間、謁見室など各部屋の説明を受けながら次々に移動して見てきました。1つ1つの部屋の記憶はあまり残っていません。印象に残っているのは、白の間の天井にあったコウノトリの巣、またそれぞれの部屋の壁の色が異なり、これによって各部屋が特徴付けられていたということ、もう一つはそれぞれの部屋には陶器できたた大きな暖房用のストーブが設置されていたということです。各部屋をまわる途中に見えた、本格的なフランス庭園も見事でした。
内部の見学を終えて宮殿の外に出てきました。屋根を見上げると、先ほどのコウノトリの姿はありませんでした。採餌にでも出たのでしょう。近くで姿が見られたことに感謝しながら、宮殿を後にしました。
黄金の間 ルンダーレ宮殿 |
グランドギャラリー ルンダーレ宮殿 |
白の間 ルンダーレ宮殿 |
コウノトリの装飾 ルンダーレ宮殿 |
謁見室 ルンダーレ宮殿 |
寝室 ルンダーレ宮殿 |
磁器の間 ルンダーレ宮殿 |
庭園 ルンダーレ宮殿 |
◆ロールキャベツ
リガに戻ってから昼食です。ロールキャベツを食べました。
ロールキャベツ リガで昼食 |
◆リガ市内観光
昼食後は午後2時30分頃から旧市街を歩きました。町はだいたい16世紀、17世紀の町並みだそうです。リガ大聖堂、猫の家、聖ヨハネ教会、ブレーメンの音楽隊、聖ペテロ教会、ブラックヘッド、3人兄弟、火薬塔、スウェーデン門、ユーゲントシュティール建築群などを見て回りました。
リガ大聖堂には、ドイツ製パイプオルガンがあり弾き方などの説明を受け、実際に聞いてみたいなと思いました。音色がすばらしいそうです。
パイプオルガン リガ大聖堂 |
ステンドグラス リガ大聖堂 |
猫の家、聖ヨハネ教会、ブレーメンの音楽隊、聖ペテロ教会、ブラックヘッド、3人兄弟、火薬塔、スウェーデン門など
旧市街を歩く リガ |
猫の家 リガ旧市街 |
聖ヨハネ教会 旧市街 |
ブレーメンの音楽隊 旧市街 |
聖ペテロ教会 旧市街 |
市庁舎 旧市街 |
ブラックヘッド会館 旧市街 |
三人兄弟 旧市街 |
スウェーデン門 旧市街 |
火薬塔 旧市街 |
猫の家 旧市街 |
ユーゲントシュティールとは、ヨーロッパで起きた新しい芸術運動アール/ヌーボーのことで、ドイツではユーゲントシュティールといいます。この建築群の特徴は、装飾に頭部像や女性の全身像、花や植物、幾何学模様を使った曲線的で華やかな装飾を施していることです。スペインのガウディの作品もこの流れの作品です。アルベルタ通りを歩いて見てきましたが、リガではこの建築は800棟をこえるそうです。
ユーゲントシュティール建築群 リガ |
ユーゲントシュティール建築群 リガ |
ユーゲントシュティール建築群 リガ |
ユーゲントシュティール建築群 リガ |
ユーゲントシュティール建築群 リガ |
ユーゲントシュティール建築群 リガ |